ビジネスの話

2022年6月15日

なぜ24歳で起業したのか。

前置き

今日は一緒に働いている新卒の子に質問された「なんで起業という考えになったか」についてまとめてみた。

今までの人生

1997年東京都世田谷区生まれ。
日本人の母親と韓国人の父親の間に生まれるが、
父親と母親は生まれて早くに離散し、母親が一人で育ててくれた。
母は経営者で、教習所や幼児教育、ネイルサロン、イベントプランナー、出版関連等、

実子でも何をやってるのかよくわからないほど手広く仕事をしている。
金持ちの息子とよく勘違いされるが、決してそんなことはなかった。

幼少期は基本家で一人、借金取りが家に来ることも多々あった。
そんな僕が今でもやめられないほど、のめり込んでいたのがダンスだ。

小学二年生のころ、おばさんがダンサーをしており発表会に連れていかれ、そこでダンスにはまり、今まで続けているので、18年くらいは踊っている。

ダンスを続けていく中で出会ったダンサーに触発され、外国に興味を持ち、高校では某国際高校にはいった。

実際に短期留学、旅行で海外に行き、持っていた価値観はぶち壊れ、いい経験だったと思う。

その後大学でもひたすらダンスをし続け、まともに勉強せず、単位数ギリギリで卒業できた。

卒業後はインターンさせてもらっていたJ・Gripという会社に入社し、1年後に独立、今に至る。

目標

僕自身の人生における目標は、「幸せな家庭を作る事」だ。

まるで幼い女の子のような夢だが、これを大学時代から目標とし、追っている。
この目標を立てた理由は明らかで、自分の幼少期がトラウマになっているからだ。
僕が考える幸せな家庭の条件は下記だ。

・東京に住む。
・子供のやりたい事を金銭面の理由で否定しない。
・運動会に全力参戦する若パパになる。

若くして稼ぐ必要があるから起業、独立したのかと言われるとそういうわけでもない。

就活の話

大学3年の終わり、就活を考え始めるが何をしていいのか一切わからなかった。
人と話すのが好き、人をつなげるのが好き
というざっくりとした理由で人材関連で働きたいと考えていた。

なんとなく尖りたくてリクナビ、マイナビは一切使わず、Wantedlyだけで就活を進めた。

色々な会社の紹介を見つつ、一番輝いて見えたMyReferという会社にエントリーをかけた。
履歴書もエントリーシートも書き方がわからず、適当に埋めて、直接話せば自分の良さがわかってもらえると信じていた。
一次、二次は無事通過し、最終面接で代表の鈴木さんと話させてもらい、かなり輝いて見えた事を今でも覚えている。

自分の中では受かったと思っていたが、現実はそんなに甘くなく、見事お祈りされ絶望した。
そこの会社のサービスや人に惚れていたこともあり、次の会社を探す気が一切起きず、就活一時中断。

一ヶ月ほどたったある日、もともと知り合いだったクレド代表の熊井さんに相談を持ち掛けた。
自分の直近目標や心境などを話し、どうすればいいか相談すると、すぐに会わせたい人がいると、の当時J・Grip社長の田浦さん(現2SC代表)と引き合わせてくれた。

田浦さんにも自分の目標を話すと笑わずに受け止め、

「うちの会社に来ればできるんじゃないですか」

と自信満々に答えてくれたのを今でもはっきりと覚えている。
何をしている会社なのかもよくわからないまま、入社を決意し、インターンを始めた。

J・Gripは広告代理店に制作会社がくっついたような会社で、Webマーケティング会社だった。

その会社で起きたこと

僕が入社した当時のJ・Gripは、渋谷にある飲食店の居抜きで入った半地下のオフィスで、決して想像していたオフィスではなかった。
しかし、人はみな優しく、全員死ぬほど働いており、(暗い雰囲気は出ていたが)かっこよかった

インターン時代は営業から、広告運用、コンサル等色々な事を体験させてもらった。
気づいた頃には、大学を卒業し、社員として入社していた。

入社したタイミングでWEBコンサルタントとして配属され、運命の上司に出会った。
当時営業部部長の後藤(現TANGLE代表)さんである。
後藤さん直下の部下は3か月以内に必ずやめる
という噂があったため、少し怖かった記憶がある。

しかしいざ働いてみると、自分の性格とはぴったりで、新卒一年目とは思えないほど大きな案件で大きな裁量をもち、仕事を進められた。
もちろん責任感は重く、仕事量は普通の働き方では抱えきれず、これでもかというほど働いた。

新卒として入社に半年も経つと、社内で営業成績1位を取り、チームを任せられ年上の部下もついた。

そんな中で後藤さんがやめるという事件とコロナ直撃がかぶり、 成長素材の上司と経験値素材の案件どちらも失い、どう成長すればいいのかわからなくなってしまう。
さらに「企業が抱えるWEBマーケの課題の本質」が見え始めたタイミングだったため、すべての仕事がルーティンとなりはじめた。

やめることを決意したタイミング

今いる会社で成長が見えなくなったタイミングで、すべてのモチベーションがなくなった
そこで自分の中で大事なものはお金でもポジションでもなく成長がモチベーションになっていたことを知った。

もちろんお金もポジションも一つのモチベーションになってるが、仕事の原動力に近いモチベーションは成長だった。
そこで成長するためにいろんなことを試した。
色んなセミナーに参加してみたり
今の会社に合う新規事業を考えたり
自分が売れるパッケージを新たに考えたり
そんな中でパッケージや新規事業を当時バディを組んでいたマーケターの矢野さん(現ODiMA代表)に相談していた。

ある日夜Zoom会議の中で、今会社にこういうパッケージがあれば売りやすいんじゃないかという提案?壁当て?をしていると、
「もう自分でやればいいじゃん」
と言われた。

それまでは、WEBのコンサルではなく、もっとビジネスの上流にかかわるためにサービス設計、経営コンサル等そっちに転職しようと考えていた。
しかしその一言で考えがガラッと変わり、独立することを決意した。
次の日の朝には当時在籍していた会社の社長に辞めると伝えた。

その話が終わったタイミングで外で煙草を吸うと、ノリでやめると言ってしまった!と思いお腹が痛くなったのを覚えている。

熊井さんに税理士事務所を相談してもらい、その日のうちに設立準備を進めた。
お金もろくになかったため、会社を設立せずに個人事業主として仕事をはじめればよかったものの、 もしかしたら大きな会社から相談が来るかもしれないし、稟議通しやすいのは株式会社だろっていう訳のわからない理論で株式会社を設立

もちろん当時担当していた企業を引っ張ってこれるわけもなく、案件はゼロからのスタート。
幸せなことに営業しなくとも相談を定期的にいただける状況だったため、久しぶりに新規営業をしなければいけない。
みたいな独立してから大変だったことはまた後日記載する。

最後に

今回は独立の経緯をまとめた。
特別考えをまとめているわけではないが、今までの歴史をつらつらと書いた。
この記事はアウトプットかどうかわからないが、ここはこういう気持ちだったと追記するような記事になる気がする。

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